ナゾの終着駅、「あびこ道」には何がある

吾彦観音の西側山門
我孫子の地名は吾彦観音から

「ナゾの終着駅〇〇には何がある」ネット上で度々目にしたタイトルです。関東方面がほとんどだったようですが、近々取りまとめて出版もされるそうです。 

阪堺電車を利用する人にはおなじみの行き先「あびこ道」ですが、沿線以外の人には「ナゾ」の場所かも知れません。地下鉄あびこの駅前と思っている人もいました。

大阪と堺をつなぐ阪堺電車、我孫子道は大阪市側最南の停留場ですぐ先は大和川です。昔は荒蕪地が広がり土地が手に入れやすかったため大正時代に車庫が設けられました。それで我孫子道行が多く運転されます。阪堺電車関係の施設も集中し、かつては社員も何百人単位でいたこともあり娯楽施設や商店街ができて現在以上ににぎやかでした。現在も西側紀州街道には安立商店街があり、地味ですが若い人経営の町家カフェやレストランもあります。

我孫子道の我孫子は同じ住吉区内にある日本最初の観音様といわれる吾彦山大聖観音寺のことです。吾彦をあびこと読みます。吾彦がどう我孫子になったか定かではありません。観音様は、特に節分には多くの参拝者で賑わいます。我孫子道停留場は紀州街道から観音様へ続く道の前に設けられため命名されたようです。ただ、観音様までは2km以上あり歩けば30分はかかります。今となってはここから観音様へ行こうという人はいません。我孫子道より観音様に近い所には、高野線我孫子前、阪和線我孫子町、地下鉄我孫子と3つの鉄道駅があります。現在は地下鉄か阪和線から行くのが普通となっています。しかし昭和の初めまでは、地下鉄、阪和線は未開通、高野線はド不便ということで阪堺線の我孫子道から向かう参拝者も多かった様で、南海鉄道は阪堺線我孫子道、高野線我孫子前どちらも乗降できる参拝用乗車券を発行していました。

3㎞の間に4つの我孫子を名乗る駅があり昔も今も不慣れな人は混乱するでしょう。これら4駅をつなぐ交通はなく、間違ってやって来てしまうと一旦天王寺に戻った方がいいということになります。

阪堺線我孫子道は191112月に開業、高野線我孫子前は19071月に違う場所に臨時駅として設置され現在の場所で正式に駅となったのは1912年、阪和線我孫子町も当初は我孫子観音前臨時駅として1930年に、地下鉄我孫子は19607月にそれぞれ開業しました。

 

あらためて吾彦観音の善男善女を引き付ける大きな力を感じるところです。