ナゾの終着駅、「あびこ道」には何がある パート2

加賀屋新田会所跡入口
加賀屋新田会所跡入口

阪堺電車でよく見る電車の行き先「あびこ道」、前回は駅前を踏切でクロスして東西にのびる我孫子道の東側、吾彦観音方面について書きました。今度は西側の住之江区側をご紹介しましょう。

阪堺線の西側に沿い、南北方向に紀州街道が通じます。町屋カフェやレストランはパート1で触れましたが、紀州街道のアーケード商店街、安立商店街を北にぬけたところに霰(あられ)松原の史跡があります。大和川が付け替えられる以前は、街道のすぐそこまで波打ち際が迫り、北は岸の姫松、南は堺を挟んで浜寺まで松の名勝がいくつもありました。霰松原もその一つです。

我孫子道の「道」を紀州街道からさらに西に進み、十三間川と国道を渡り北島通商店街を暫く行くと大阪市の史跡・緑地に指定されている「加賀屋新田会所跡」があります。この史跡はほとんど知られていないようですがなかなかの穴場です。我孫子道停留場から徒歩で20分ほどです。

会所跡には当時の立派な屋敷と見事な庭園があり、普段は史跡として公開されているのですが、現在は残念ながら耐震工事で202510月一杯まで立入りは出来ません。

 

加賀屋新田は、大和川付け替え後、河口に形成された広大な砂州を、加賀屋甚兵衛という人が新田として開発したものです。そのため敷津浦一帯は加賀屋町と名付けられました。会所跡付近は、敷津浦北島町のかつての中心で、外にも立派なお屋敷がいくつか残っています。